大村市九条の会

会報 第16号

発行:2007年1月

あけましておめでとうございます。

今年も憲法を守り生かしましょう。そして、九条の会をより大きくしていきましょう。


国家と個人 T

 夏目漱石は「私の個人主義」という講演において、「国家と個人」について次のように述べています。

 < 国家は大切かも知れないが、さう朝から晩迄国家々々と云って恰も国家に取り付かれたやうな真似は到底我々に出来る話でない。(中略)豆腐屋が豆腐を売つてあるくのは、決して国家の為に売つて歩くのではない。根本的の主意は自分の衣食の料を得る為である。

 然し当人はどうあらうとも其結果は社会に必要なものを供するといふ点に於て、間接に国家の利益になつてゐるかも知れない。是と同じ事で、今日の午に私は飯を三杯たべた、晩には夫を四杯に殖やしたといふのも必ずしも国家の為に増減したのではない。

 正直に云へば胃の具合で極めたのである。(中略)然しながら肝心の当人はそんな事を考へて、国家の為に飯を食はせられたり、国家の為に顔を洗はせられたり、又国家の為に便所に行かせられたりしては大変である。国家主義を奨励するのはいくらしても差支ないが、事実出来ない事を恰も国家の為にする如くに装ふのは偽りである。 >

 この中で漱石は、「利己主義」と「個人主義」の明確な違いを述べた上で「国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと段の低いもののように見える事です。元来国と国とは辞令はいくら八釜しくっても、徳義心はそんなにありゃしません。詐欺をやる、誤魔化しをやる、ペテンに掛ける、滅茶苦茶なものであります。」と述べています。

 驚くことに、漱石の言う『個人主義』とは、日本国憲法13条の『個人の尊厳』の理念とほぼ同意であるということです。また、1915(明治44)年8月、『文芸と道徳』という講演のなかでは、「昔の道徳すなわち忠とか考とか貞とかという字を吟味して見ると、当時の社会制度にあって絶対の権利を有しておった片方のみに非常に都合の好いような義務の負担に過ぎないのです。」とのべています。

 これはまさに、今日議論されている「愛国心」教育を盛り込んだ改定教育基本法なるものの、くだらななさにも通じます。そしてさらに漱石は、「私はどんな社会でも理想なしに生存する社会は想像し得られないとまで信じているのです。」とも述べています。その当時、明治憲法下にあった日本でも、今日の日本国憲法における理想主義的な発想である漱石の先見性には驚かされます。