ノート、その2

再び多喜二の時代に戻してはなるまい

「大村市九条の会」  谷川 成昭

 「大村市九条の会」を発起するに至った原点が小林多喜二の数々の作品との出会いにあったのではないかと思う程に凄まじい勢いで戦前へ時代が逆行しているのではと感じる今日この頃である。

 多喜二の「蟹工船」「党生活者」「1928年3月15日」はそれまで手にした他の小説家の作品とはまったく異質のもので、それまで見たことも、聞いたこともない未知の世界が突然心の奥に飛び込んできたような衝撃であったことを鮮明に思い出す。

 戦前生まれというだけで国民の自由・平等の権利が如何に踏みにじられていたかを身を持って体験したことはないが、悪名高き治安維持法の下で自らの命を賭けて権力と対峙した名も無き多くのプロレタリアートの存在。その精神的支えとして活動したプロレタリア作家諸氏の毅然たる生き方を知るにつけ深い敬意と賛辞を送らずにはいられない。

 さて、敗戦により国民は新憲法により多喜二達が目指した主権在民、自由・平等、恒久平和を得たはずであった。特に憲法九条は先の大戦により不条理にも尊い命を奪われた人々の遺言とも言うべきものであり、世界に向けて発せられた不戦の誓いであったはずだ。

 それが僅か六十年をもって今や風前の灯である。政界・財界・教育界のこの右傾化の波は一体どうした事であろうか。

 「お国のために命を投げだしても構わない日本人を生みだす」と公言する人物が民主党に属するとあっては、憲法改正に必要な国会議員の三分の二の賛成など高いハードルではない。

 「大村市九条の会」は全国の各地、各界から沸きあがっている「九条を守る会」と連帯し、「多喜二の時代に戻してはなるまい」「多喜二の死を無駄にしてはなるまい」との思いを込めたものであり、「大村市九条の会立ち上げ趣意書」(字数制限のため一部省略変更)を紹介させて頂き私の決意表明と致します。

大村市九条の会立ち上げ趣意書
 今回の憲法改定の最終着地点は「憲法九条」ではないでしょうか。現憲法下での集団自衛権の行使には無理があるとの見解が一般的ですが、改憲によって集団的自衛権が合法化されてからでは最早手遅れではないでしょうか。

 先の大戦の反省が薄れ、「新しい歴史教科書をつくる会」の動きに象徴されるように、「国を愛する教育」「道徳教育・修身教育」の復活を意図する勢力が台頭しつつあることはご案内の通りです。

 東京都が全国に先駆け、この勢力により編纂された教科書採択の先陣に立っており、更には都知事が、先のアジア・サッカー杯で起きた一部、特に嘗て日本軍に蹂躙された重慶の若者の行動を指して「民度が低い」と発言したと聞きます。

 日本に文字さえなかった時代に、かの国では老子・荘子が「人間の自由・平等」を高らかに謳っています。どちらの国の民度が高いか低いかは別として、中国を未だに「支那」と呼び捨てる彼の差別的発言は戦争への挑発ではないかとさえ危惧するものです

 自分の国を愛さない者がいるでしょうか。前文を含む103条の憲法、そして11条の教育基本法に掲げられた崇高な精神は、日本国民の誇りであると同時に積極的に世界へ向けて発信されるべきものと確信します。

 今や「憲法を守る」というより、我々の日々の生活は憲法によって守られていると実感すべき時なのではないでしょうか。何ゆえに憲法や教育基本法を変えなければ愛国心を醸成できないと考えるのでしょうか。ヒューマニズムの精神は、宗教や主義主張を超えた格調高きものであり、物事を真理に導いてくれる唯一のものと考えます。

私達は次の事を運動の基本とします。
 「大村市九条の会」は「平和を愛し、再び戦争をしない」との一点で手を携え、憲法改悪を許さないことで連帯しあえる広汎な運動の発展を目指すものです。

 次の世代に責任の持てる人間であるべく、1人でも多くの賛同者がご参集くださることを念じております。


 (注:この文章は、「長崎県九条の会」が発行している「平和憲法を守ろう」という小冊子の中に「大村市九条の会」を代表して、書いた原稿です)

(掲載日:2005年10月23日)