2014年8月2日、国際平和シンポジウム参加の感想


 国際平和シンポジウムに参加された大村市在住の石橋睦子さまより寄稿いただきました。 約400人の参加者は「核抑止力」信仰をいかに乗り越えるかについての討論に耳を傾けました。 詳しい内容は、8月9日付け朝日新聞に掲載される予定です。  **写真は「朝日新聞.com」より転載したものです。

国際平和シンポジウム
核兵器廃絶への道 〜原点を見つめ、「核の傘」を超える〜
2014年8月2日(土) 13:00〜17:00
会場:長崎ブリックホール国際会議場

 8月2日、台風にもめげず、大村11:22発のJRで長崎に向かう。 2両編成の列車内はいつにも増して外国人が多い。 前日、佐世保に入港した米原子力空母の乗組員ではなかろうか。 その大半が私と同じく浦上駅で下車した、「Peace Park. Peace Park」と言いながら。 あのアメリカ人の若者たちも、殺し殺されることを望むはずもない心やさしい善良な市民なのだ。 2人の若者に平和公園へ行く電車を教えて、彼らが戦場へ行くことがないよう願うばかりだった。

 ブリックホールの国際会議場には12:30の会場前から聴衆が詰めかけていた。(やはり中高年が多い。)
 第1部が主催者あいさつ、被爆体験の朗読、なかにし礼氏作詞『リメンバー』の合唱、そしてなかにし礼氏の特別講演。
 第2部がギャレス・エバンス元豪州外相の基調講演とパネル討論

 午後1時から5時まで中身の濃い、心にしみる時間であった。 第2部については8月9日付の朝日新聞に特集記事が掲載されるのでそちらに譲るとし、第1部についての個人的感想を述べることにする。

  第1部はまず、田上長崎市長のあいさつで開会した。 長崎平和宣言に集団的自衛権に懸念を示す文言を入れたことがこの日の新聞各紙で報道されていたが、あいさつの中で各社の報道姿勢の違いに触れ、「原爆の日にはフラットな気持ちで平和宣言を聞いてほしい」という田上市長の言葉が印象に残った。 昨年の平和宣言もテレビで聞いていて本当に感動したが、長崎市民また長崎県民は田上氏を長崎市長に選んだことを誇りに思っていい(と言うのは過言だろうか)

  朝日新聞長崎県版の『ナガサキノート』に連載された郡家徳郎氏の被爆体験記を「8・9ながさきアナウンサーズ」の佐藤利恵さんと田中花木さんが朗読。 自身の被爆体験と爆死した長崎医科大学の学生だった兄の話。 そしてがれきの中で見つけた兄の遺品と思われる医学書を紹介された。 被爆体験記、語り部による体験談はこれまでに何度も見聞きしているが、そのたびに胸が締め付けられ目頭が熱くなる。

「リメンバー」を歌う諫早市立森山中学の合唱部(写真は「朝日新聞.com」より転載したもの)

 『リメンバー』は声楽家の佐藤しのぶさんが、なかにし礼さんに作詞を依頼してできた歌。 この歌を諫早市立森山中学校合唱部による合唱、佐藤しのぶさんの独唱、そして佐藤さんと中学生によるコラボレーションで、たっぷり聴かせてもらった。 中学生の純真さとプロ歌手の迫力。 平和な未来を願う思いを会場の誰もが共有できたと感じた。

  佐藤しのぶさんを生で見るのは初めてだったが、彼女の日本人離れした容姿と歌声に圧倒された。 印象的だったのが彼女のドレス。 ピカソがデザインしたような柄で、左胸のあたりの他、何ケ所かに白い鳩が飛んでいた。

   歌の披露の後、なかにし礼さんと佐藤さんのトーク。 『リメンバー』ができるまでのエピソードなどが語られた。 多くの人に伝えるために手話を振りつけるよう提案したのはなかにしさんだったと言う。

  第1部の最後はなかにし礼さんの講演。演題の「平和の申し子たちへ!」は最近発表されたなかにしさんの詩の題名。ご本人の朗読で披露された。若者たちに「戦争へ行くな。泣きながら抵抗し続けろ」と訴える詩である。なかにしさんは「反戦平和を訴えるには、勇気と覚悟が必要」という意味のことを言われたが、それは人生経験を重ねた大人(九条の会に集う我々ぐらいの世代)に言えることだと私は思う。

  そして、そういう成長し、目覚め、覚悟した大人が勇気を持って若者に訴え続けなければならないと。 なかにしさんはそれが「遅い歩みではあるけれども前進している」と言った。  今や風前の灯火の憲法9条を、しかし最後まで諦めずに次の世代へ残し、世界に広めていく覚悟を持ち続けましょう!

  18:03大村駅に降り立つと、夏越しまつりを楽しもうと中高生をはじめとする若者でごった返しだった。 大村にも若い人がこんなにいるのかと驚いたが、彼らが将来戦争で殺し殺されることが決してないように、これからも毎年夏越しまつりを楽しむことができるように祈らずにはいられなかった。  2014.8.4 石橋睦子(大村市在住)

(掲載日:2014年8月6日)