2009年度、第2回大村市九条の会「集い」報告


 2009年6月28日(日)は豪雨を予感させるような生憎の曇り空でしたが34名の方々にご参加をいただく中、長崎より田中 實さまをお迎えして「私の歩んだ道」と題した講演会を開催しました。

 田中さまは憲兵分遣隊長であった父の任地である満州で幼年期を過ごされています。 厳しくはあったが子煩悩な普通の父親と思っていたと幼い頃の父との思い出を静かに語られました。

 しかし1957年(昭和32年)に発刊された「三光(三光作戦)」()に関する出版物により73 1部隊(石井部隊)()の恐るべき人体実験の実態と併せて父がこの部隊と深く関わっていたこと を知り、計り知れない衝撃を受けたと語られました。

  731部隊の前身である陸軍化学試験所においては麻酔なしで人体解剖が行われました。その実験台 として使うはずの脱走した中国・モンゴル人を補足するのも父の任務だったのです。

  三光作戦)はナチによるユダヤ人迫害(ホローコースト)と並び称せられる戦争犯罪であるだけに戦後12年後とはいえ受けられた衝撃の程が察せられます。

 戦争が人を人でなくしてしまうという恐ろしさは、親が子の、子が親の命を奪う「集団自決」という悲惨の極致で終結する沖縄戦と重なります。 人々を戦場に駆り立て、残虐非道な行為にも躊躇しない人間に変えたのは「尽忠報国」「七生報国」()に象徴される教育によるものであり、次の世代の人達が同じ轍を踏まないためにも正しい教育の必要性を強調されました。又、戦争の悲惨さを実体験したことのない制服組、航空幕僚長であった田母神氏の発言に対しても深い憂慮を抱かざるを得ないと指摘をされました。(

 海軍兵学校予科での経験として戦後の人材育成を視野に敵国語である英語教育が重視されていたこと、体罰が禁止されていたのには驚いたとも語られました。(

 最後は「長崎のうたごえ協議会議長」であり来年秋の「日本のうたごえ祭典in長崎」の実行委員長である田中さまの歌唱指導を受けて参加者一同、「町」「老いて輝く」「わが母のうた」「人間のうた」を歌い、平和への想いを新たにする意義深い「集い」となりました。 尚、次回「集い」を9月中旬に予定しています。今回を越える皆様方の参加をお待ちしています。

※ は筆者補記

 「三光 日本人の中国における戦争犯罪の告白」光文社 神吉晴夫編集(S32年版)

 731部隊:初代部隊長石井四郎(陸軍軍医中将)にちなんで石井部隊と呼ばれる。細菌・化学戦研究のために生体解剖などを行ったとされる。

 「三光作戦」:意のままにならない「敵性」地域において「殺し尽くす」「焼き尽くす」「奪い尽くす」という日本の軍事作戦

 「七生報国(しちしょうほうこく)」:「七たび人と生まれ、逆賊を滅ぼし国に報いん」 「湊川の戦い」で足利尊氏軍に破れた楠木正成が一族に残した言葉と言われている。

 新聞報道によると田母神氏の講演会が広島原爆の日の8月6日に広島市内で予定されている。 

 海軍大将「井上成美(しげよし)」は日独伊三国同盟、日米開戦に強行に反対した軍人として知られ、米内光政、山本五十六大将と「海軍左派三羽烏」と呼ばれた。海軍兵学校校長の時、敵国語である英語教育の必要性を説く。阿川弘之著「井上成美」などの各本が出版されています。強行姿勢を崩さない陸軍に対し昭和19年8月に終戦(和平)工作を開始する。米内光政と共に太平洋戦争を終結に導くことに貢献する。

(掲載日:2009年7月5日)