2012年度 沖縄訪問報告書(11月26日〜29日)


2012年度 沖縄訪問報告書(11月26日〜29日)(報告者:「大村市九条の会」谷川成昭)

はじめに
 今回の沖縄訪問は2010年4月に続くものです。 訪問の発端になったのは10月3日の朝日新聞オピニオン欄インタビュー記事「尖閣で何を慰めたのか」です。以下はその記事の抜粋です。

沖縄県東村の案内板

 1,7月23日、自民党の山谷えり子先生から「魚釣島で慰霊祭をしたい。政府に上陸許可申請をするので遺族会も了解してくれないか」との問い合わせがあったのに対して、「遺族会は御霊を慰めて二度と戦争をしないことを目的にしています。『領土を守る』というのとは目的が全然違うので同意できません」とはっきりとお断りしました。 *山谷えり子氏:日本の領土を守るために行動する議員連盟の会長。
 2,私たちの慰霊はずっと仏式です。しかもなぜ「君が代」なんでしょうね。

 3,石垣市は今年度から「新しい歴史教科書をつくる会」系の育鵬社版の公民教科書を中学校で使っています。
 4,市内には「ボクらの誇り自衛隊」という看板もあります。
 5,石原慎太郎都知事の尖閣諸島購入を指示する人たちは、日本の主権を守るためだと言っていました。・・・主権を声高に言う人たちは本気で動いてくれたでしょうか。地元の反対を押して強行されるオスプレイの配備に反対の声をあげてくれたでしょうか。・・・遠くにいる人ほど大きな声で勇ましいことを言える。その結果生じた「ツケ」は私たちに回ってくるのでしょう。

 *紙面の都合で掲載した1,5,は本文の一部です。図書館などで全文をお読みいただければ幸いです。

  インタビューに応じられた「尖閣列島戦時遭難者遺族会会長」慶田城 用武氏のお気持ちに心動かされ是非ともお会いをして直接にお話を伺いたいとの気持ちに駆られました。更には「与那国への自衛隊配置反対意見広告」の協賛協力を呼びかける記事と、朝日新聞10月9日の社会面に掲載された芥川賞作家目取真 俊氏の抗議行動記事が背中を押しました。

 尚、「大村市九条の会」として「与那国への自衛隊配置反対意見広告」に協賛することを決定。9月26日の「八重山毎日新聞」に全面広告された新聞をお送りいただきました。又、訪問に当たり準備した資料は以下の通りです。

1)沖縄訪問関連資料として9月〜11月間の沖縄関係の新聞記事25項目を持参


2)下記、面会者への質問事項一覧
(順不同)
  (1)沖縄の実状について本土の国民に致命的に欠落していると感じられるものは?
  (2)沖縄の皆様の苦衷に寄り添う想いを伝えられる具体的な行動とは?
  (3)国防族、歴史修正主義者を生みだす哲学的・思想的背景は?跋扈させる背後軍資金は?

  (4)自らが正論と信じる国防族、歴史修正主義者が得ているものは(地位・資金・名誉など)?
  (5)国内戦を想定する仮想敵国とは?(ピース・ナウ P67)
  (6)「集団自決」に軍命令の有無を論じるには二つある。(ピース・ナウ P35)
  国としてはどちらでも良かったのか?
   1,有:「軍民一体の戦争」であったと捏造できる
   2,無:命令がなくても自ら進んで「殉国死」した沖縄県民のイメージを定着させられる

(7)その他
  1,総選挙で「維新の会」がかなりの議席を得た場合→今後の日本の行方は?
  2,2011年11月 石垣で「つくる会系の教科書」を小学校の母親2人が提訴
  3,若泉 敬氏の評価は?   
  4,鳩山由起夫元首相の評価は?

訪問要点報告
   以下は皆様方との面談を前に準備した質問事項に沿ってお話しいただいた内容をメモし、それに基づき 谷川なりに受け止めて要約したものであることをご了解下さい。(文責:谷川)

1)26日 長崎発〜那覇経由〜石垣

(1)16:00〜17:00。ホテルロビーにて慶田城 用武氏に色々な視点、角度からの話をお訊きできま した。以下はその要約です。
 1,本土の人は沖縄の抱える問題、沖縄県民の苦悩を他人事としか受け止めていないのではないか。その端的な例として先日、沖縄県宮古島市で開かれた九州市長会におけるオスプレイ決議の後退を 指摘された。
 2,八重山、沖縄本島は台湾、中国との交流で栄えていた。水牛やパインも台湾から入ってきて沖縄に定着した。防衛の最先端との位置付けには賛成できない。
 3,本土の各都市も中国の都市と姉妹都市を結んで民間が先行しての友好関係を築いて欲しい。

右下側はハト
戦争の放棄の碑

(2)19:00〜22:00「与那国への自衛隊配置反対」実行委員会の皆様6 氏と懇談。以下は要約。
  1,本土の人たちの多くが沖縄の痛み、苦しみ、差別を理解していないように思われる。
 2, 「いしがき女性9条の会」の方は大阪に住んでいたとき「沖縄に関する情報が極端に少なかったと感 じている。本土の人の無関心さと情報量の少なさが深く関係しているのでは」と語られました。
 3,沖縄に住む人は日本の中の沖縄県人だ。文化的視点に立てば琉球人としての誇りがある。

 4,石垣にある「世界平和の鐘」は第二次大戦後の1954年、日本国連合協会の故中川千代治会長が、当 時の国連加盟65ヶ国からコインを集めて鋳造したもので、台湾と北海道の稚内と沖縄の石垣にあるこ とや、他に「憲法九条の碑」「戦争の放棄」の碑」の存在も教えていただきました。(写真) 懇談を終えて宿へ帰る途中と翌朝に両方の写真を撮りましたが、とても立派なものでした。 特に、倒れかかる「平和のシンボルのハトが刻まれた石碑」「戦争の放棄」の碑が支える発想に よるデザインは見事でした。(写真)  

*那覇〜石垣間の便の多さと利用する人の多さに驚きましたが、現在は貨物船だけが周航しているのだそうです。住民の方々にとっては飛行機が生活の足ということでした

2)27日 石垣発〜那覇
 午前中の飛行機で那覇へ。午後から首里城、宜野湾市の普天間基地を望む嘉数台へ足を運びました。普天間基地に整然と駐機するオスプレイ10機程を確認できたが、飛び立つ気配はなく、地元の記者さんやカメラを構えて待つ民間の方に尋ねたところ、ここ数日は動きがないとの事でした。 しかし、僅かな時間に米軍大型輸送機2機が危険な市街地を後に飛び立ちました。

京都の塔

嘉数高台の碑文

普天間飛行場

 ここ嘉数台は沖縄戦における激戦地の一つで、展望台の脇には「トーチカ」跡や、各県から派遣されこの 地で戦死した兵隊さんの霊を慰める塔が数基建てられています。(「京都の塔」の写真) 尚、首里城は大幅な改修工事が行われていました。本殿に入館することは可能でした。

3)28日 那覇〜名護経由〜東村・高江〜名護経由〜那覇
 高速バスで名護市へ。(22往復 約1時間45分)乗り換えて高江へ。(折り返し運転で3本 約1時間) 終点にある販売所から最初のテント村までの距離は約1キロ。歩道付の2車線道路に沿ってヤンバルの森を右手に見ながら緩やかな上り下りを歩くこと約20分。途中ですれ違った自動車は僅か数台でした。

 第一テント村に着き、一人で番をしていたS氏と挨拶を交わし状況をお尋ねすると、ここ数日はオスプレ イの飛来はないとのことでした。M氏も合流する。オスプレイ配備反対を訴える地元住民、および他所・他 県から駆けつけた人たちが先にあるN―4ゲート前テント、更に先にもテントがあり、交代で張り付いてい るのだと聞き、車に同乗させて貰い先のテントに向かいました。

 芥川賞作家の目取真氏は道端に駐車した車の中で抗議の意思表示。挨拶程度の言葉を交わしました。N―4ゲートは海兵隊がジャングル戦に備えて訓練をする「北部訓練場」の出入り口。若い男女4人が座 り込んでメモ帳に出入りする車や乗っている人の特徴を記入しておられました。 こうしたデーターが米軍や防衛施設庁の今後の動きを読み取るのに役に立つのでしょう。

 皆様の寝泊まりを聞いてみたところ、販売所近くに家一軒を借り上げて、ざこね状態のようでした。 風呂はないがシャワーがあり、全国から寄せられるラーメンなどの保存の利く食料で十分食事は摂れてい るとの話でした。自分の事は自分でするのが基本で、宿泊代として一日500円払えばシーツも新しいのが使えるし洗濯機も共同で使用できるとのことでした。 車で支援に駆けつけた人で借り上げ宿舎が満員の時は車中で眠るのだそうです。

子どもたちと一緒に

 帰りのバス発車まで地元の小学生が遊び相手になってくれました。みんな仲良しで元気一杯。(写真)川崎から駆けつけたというMさん(前出)は既に20日ぐらい滞在しての反対運動支援だそうです。 オスプレイの配置に「No!」を突きつけ、反対運動に結集される皆様一人ひとりの湧き上がる怒りの想 い伝わってきました。

 圧倒的多くの国民は日々の生活に追われている実状を差し引いたとしても、こうした人たちから見ると、 本土の人が「他人事」としか受け止めていないのではとの不信感を持たれるのも無理からぬことと思えます。 沖縄の抱える諸問題、沖縄県民の切実な苦しみを今こそ自らに置き換えて正面から見据えなければ、ならない瀬戸際だと言うのが実感です。取りも直さず「改憲は本土の沖縄化」なのです。

*名護発那覇行きの最終バス(20:00発)は一般国道を通る普通バスで滅多に経験できない所要時間2時間30分というテクテクな長旅でした。那覇県庁北口着22:30過ぎ。

4)29日 那覇市内〜那覇空港〜長崎
(1) 10:00〜11:15  日航グランドキャッスル ロビーにて 沖縄国際大学名誉教授 石原昌家氏と面談
  本土の人たちの9割方は沖縄に対して無関心である。防衛副大臣長島昭久氏がオスプレイ配備問題で岩 国市には謝罪している事実(10月22日 共同配信による琉球新報)は沖縄を外地と考える意識の表れと受け止める。本土の人にお願いしたいことは、「日米安保廃棄運動」の署名活動などを通じて意思表示し、声をあげて貰いたい。

  原爆投下の背景には、米兵1万4千人の死者をだした沖縄における日本軍の善戦ぶりからして、本土に まだ400万の日本軍が残っていることを考えた場合に米軍にとって被害がどれ程になるかとの懸念があり、戦争を早期に終結させたいとの想いが一つの要因としてあったのではと考えているとのことでした。

 総選挙で「改憲派」が議席を伸ばすことへの不安と、幸福実現党の躍進が気掛かりだが嘉田滋賀県知事の行動が一筋の光明と思っていると語られました。 鳩山由紀夫氏の「最低でも県外」発言について沖縄県民にはそれほどの非難の声はなく、むしろ米国従属に対するリトマス試験紙的な意味で勇気ある発言との評価さえあるようです。

大田昌秀元沖縄県知事と一緒に
普天間飛行場

(2)14:00〜15:30 沖縄国際平和研究所にて 大田昌秀元沖縄県知事と面談
  約束の1時間前に研究所を訪れ、展示されている沖縄戦に関する写真1,788点を見て回りました が、正に圧巻でした。「改憲して国防軍に」になどと蛮声を上げる面々にこそ見て欲しいものばかりでし た。鬼畜米英どころか沖縄の子ども達に優しく接する米軍兵士の姿を目にすることができます。

 木曜日を除く午前9時〜午後6時までの開館で入場料は大人300円、学生200円です。沖縄に足をお運びの節は是非立ち寄って欲しいものだと思いました。(TEL 098-979-9490) さて、先生の第一声は「本土の人たちは鈍感である」でした。87才の年齢を感じさせないお元気さ と、次々に口にされる歴史的事象、関連する人物名の多さに驚嘆するばかりでした。

  沖縄問題は日米安保体制が生み出す「構造的差別」であり、マスコミは記者が現地から届ける重大な記事を「没」にしたり、又は「ベタ記事」程度でしか報じない現実がある。 1945〜1953年、戦後の沖縄と米軍との関係は「「フレンドリー」でさえあった。米軍には戦 後の沖縄住民に手を差し伸べる為の5000人規模の特別任務の部隊さえ存在したそうです。

 しかしそれ以降、戦後沖縄の最大の問題とされる軍事基地化のため、「土地収用令」で農民の土地を 強制的に収用したことが現在の反基地運動に至っている。 原発と沖縄問題は「お金で買う」という意味で同列である。日本が沖縄に求めるものは軍事基地と しての土地だけであり、そこに住む沖縄の人を必要としていないのではないか。

 翁の言葉として沖縄には昔から「土地は物を生産するため」のものであると言い伝えられてきた歴 史があるそうです。基地を返して貰い、その田畑で野菜などの農作物が育つ姿こそ本来の沖縄のあるべき姿なはずです。 フィリピンのクラーク米運基地を撤去させたのは独立国家としてのフィリピンの誇りを示すものだ との話には米国追従の道しか歩めない日本政府に対する深い失望の想いが伝わってきました。

 「若泉 敬氏」「鳩山由紀夫氏」の話にも及び、午前中にお会いした石原先生と同じように「沖縄の 本土復帰」「沖縄の基地撤去」を真剣に考えた人としてそれなりの評価があるようでした。 先生との話は最初の予定を大幅に越えて1時間30分を越えました。私の方が先生のお身体に障る のでは心配する程でした。 貴重な資料もいただきました。先生のご健康と更なるご活躍をお祈りし、再び訪れるご縁を楽しみ に研究所をあとにし長崎への帰路につきました。

5)沖縄訪問あとがき

 新聞報道や多くの書籍を通して沖縄、沖縄の歴史についてある程度の知識はあるつもりでしたし、沖縄の民意が一枚岩ではないことも承知していましたが、今回の訪問で如何に沖縄の歴史に無知であり、沖縄県民の皆様とは欠け離れた目線で沖縄を見ていたのだということを痛感しました。

 「若泉 敬氏」を取り上げたNHKドキュメントの一場面に「小指の痛みは心の痛み」と書かれた色紙がでてきます。 私たちは「沖縄の痛み=小指の痛み」を心の痛みと感じているかと問われれば「否」でしょう。 先の大戦による筆舌に尽くせぬ悲惨な経験を生かすこともなく、平和憲法を押しつけ憲法と難癖をつける勢力が勢いを増しています。

 聞きわけのない幼子のように執拗に中国を「シナ」と呼び続け、更には「尖閣」で目立ち、挙げ句には「核のシミュレーションをやればいい」「高校を卒業したら、2年間ぐらい自衛隊、警察、消防、海外協力隊などで集団生活させればいい」と言いたい放題。その本人はといえば銃を持ち敵と対峙したこともなければ、率先して自分の子供にそうした経験を積ませたこともない人です。

 その厚顔無知さには言葉を失います。唯我独尊の自惚れが独自の自力本願の宗教観に繋がっているのでしょうか。 ともあれ、現実には閉塞感をバネにした右傾化が迫っています。このまま傍観していて、この先の日本のあり方に責任を持てるのでしょうか。「学徒出陣」で戦場に散った若者達の無念の想いに応えることができるのでしょうか。

 危惧すべきは「憲法改悪の本質は本土の沖縄化」でしょう。「改憲」は沖縄の現状が日本中に拡散することです。「巧言令色鮮(すくな)し仁」との中国故事を改めて心に留めたいものです。  2012年12月12日

(掲載日:2012年12月13日)