大村市九条の会

会報 第17号

発行:2007年2月

国家と個人 U

 今年のカンヌ映画祭でパルム・ドールを獲得した「麦の穂をゆらす風 The Wind That Shakes The Barley(監督:ケン・ローチ)」という映画がある。

 アイルランドは1922年までイギリス政府に統治されていた。その年にイギリス帝国内の自治領としてアイルランド自由国が成立したのだが、この映画はそこにいたるまでの戦いを描いている。

 主人公は独立運動に挺身する2人の兄弟とその周辺の若い人々。

 それまでも独立の機運はずっとあった。しかし、イギリスは暴力でそれを押さえこみ支配していたというのが基本の構図だ。単純化して言えば、アイルランドは小作人で、地主はイギリス人ということだ。

 アイルランドの伝統的な球技としてイギリスが禁じていたハーリングの場面に続くのはイギリス兵による暴行と殺害の場面。

 イギリスは暴力で弾圧する。IRA(アイルランド共和国軍)を名乗る独立運動の戦士は捕らえられて拷問され、脱走し、訓練を重ねて戦いの術を身につけ、イギリス兵士を襲う。

 アイルランドは面積からいえば日本の東北地方くらいだという。人口はその東北地方の3分の1を少し上回る程度。

 独立運動というのはつまり建国の努力である。そして、それがかくも暴力に満ちているのは、国家というものが本来その根底に暴力を擁しているからだ。

 国家は警察権や裁判権の形で暴力を独占する。国民は国家に自分たちの安寧のために暴力の行使を委託する。だから、国家の構造に無理があると、成文法によってきちんと管理されているはずの暴力が噴出する。国民の間に平等がないと、落差による水力発電のようにエネルギーが生まれる。

 植民地は社会の前提として平等がないために恒常的に暴力に依らないと体制が維持できない。だから紛争は止まらないし、戦争を始めるのは愚者でもできるけれど、戦争を終えるには真の賢者がいる、という格言も生まれる。

 およそ利害の不一致を暴力で解決するのはむずかしい。正のフィードバックがかかっているから時間の経過と共に現象は収束ではなく発散して規模が大きくなる。感情の生き物である人間は、かっとなって与えられた以上のものを返す。暴力の中にある者には暴力への抑制がない。

 平和とは暴力がない状態のことだが、暴力をただ否定する論法には力がない。人間の本然の中に暴力というものもあることを認めた上で、それを超える道を探らなければならない。

 作家の池澤夏樹さんは、この映画についての感想をこう結んでいる。

 「国家が暴力とその犠牲のもとに造られたものであることを意識させる。(中略)平和な島国だった日本の場合、国の淵源ははるか神話時代まで溯る。日付の設定は意味がない。 だから2月11日は何の実感もなくて空疎かつ滑稽なのだ。」

憲法9条に関心を 活動家のワードさん訴え

 憲法九条をもっと知ってほしい−。憲法九条に注目してもらおうと羽ばたき折り鶴「きゅうちゃん」を街頭で作り配る活動をしながら自転車で旅する英国出身の自称「地球人」のチャーリー・ワードさん(27)が、「大村九条の会」のメンバーと交流しました。

 1月17日、大村市の「美さ喜」で、日本のお惣菜や手打ちそばを、上手な箸使いで口に運びながら、流暢な日本語で「九条は世界の宝」と話すワードさん。そして「考えるだけでなく、行動することが大事」だと付け加え、有意義な交流となりました。


講演:教育基本法改定問題を考える
講師:鈴木理恵氏(長崎大学教育学部助教授)

2月11日(日)13:30〜 教育文化会館(長崎市)