ノート、その6

雑  感
憲法と教育基本法と小林多喜二

「大村市九条の会」代表  谷川 成昭

 「大村市九条の会」賛同者皆様方の深いご理解とご協力のお陰を持ちまして、少しずつではありますが新規賛同者も増えております。(現在220名) 一方で事務局のさらなる充実をはかるべく、ご協力頂けそうな方々に声をかけながら、次のステップに向けて新たな意欲を駆り立てねばと考えているところです。

 先日はお葉書、ホームページでご案内致しました「時代(とき)を撃て・多喜二」も100パーセント満足という入場者数(130名余)ではありませんでしたが、全国各地における上映会入場者数に較べれば立派な実績との評価を得ております。又、一回目の「日本国憲法」の映写会も30名程の皆様にご参加頂き、活発な討議・意見交換の場となり盛り上がったとの嬉しい報告を受けました。

 実は映写会当日は2月20日の小林多喜二・没後73年「多喜二祭」に参加するために小樽へ向かっていました。今回が初めてと言うわけではありませんが、「多喜二」が眠る深い雪に埋もれた奥沢墓地の墓前に立つ度に彼の無念さを想い、胸が詰まり来るのを禁じ得ません。墓前に赤いカーネイションを献花された四国や本州始め道内各地から駆けつけられた60名程の皆様も同じ気持ちで墓前に向かい万感の想いを抱きながら合掌されていた事と思います。

 その死を悼むに留まらず、決して彼の死を無駄にしてはならないし、無駄にしない事が私達の最低限の使命ではと改めて決意を固めてまいりました。憲法や教育基本法に限らず、私共が当然の事と思っている現在の労働条件にしても、映画「野麦峠」に代表される女工哀史の涙を誘うような血と涙とさらには命を賭けた壮絶な闘いの上に得られたものである事も肝に銘ずべき点では同一ではないでしょうか。

 墓前祭の後は「小林多喜二」が通った小樽商科大学の資料室を見学しました。商大の歴史と共に「多喜二」に関する資料の数々が保存陳列してあり、伊藤整氏や多喜二の通知表などもあります。夜は「多喜二祈念の夕べ」の中で、昨年11月に中国で開催された「中国小林多喜二国際シンポジウム」に参加された小樽商科大学教授・荻野富士夫氏の特別報告と文教大学名誉教授・中国華北大学名誉教授である松澤信祐氏の記念講演が行われました。

 松澤先生は「本当に多喜二は語り尽くされたのだろうか」と熱く訴えられ、中国の青年にとって多喜二の作品の数々が如何に大きな影響を与えているかとの事実をお話になりました。日本において本当に多喜二は語り尽くされているのでしょうか。憲法九条を守るとの精神は、正に小林多喜二始め虐げられし名もなき労働者の皆さんや、その精神的支えとして活動されたプロレタリア作家の方々が命がけで夢見た世界を守る事と同義語との感を強めています。

 私事ではありますが、小林多喜二を語る事イコール現憲法及び教育基本法を守る事との見地から、九州各県の志を同じくする皆様を集い「九州・多喜二を偲ぶ会(仮称)」設立の為の準備活動を昨年より展開しているところです。現在九州各県で30数名参加の意思表示を頂いておりますが、じっくりと裾野を広げてもっと多数の賛同者の会にしたいと願っております。皆様方の中に共鳴頂ける方がおられましたら是非谷川までご連絡下さい。

 さて翌日は北国には珍しい晴天に恵まれまして、機上より鳥海山始め北アルプス、遠く富士山そして大山などの雪山を堪能し、心身共に新たなエネルギーを充電する旅となりました。

2006・2・24  谷川記

(掲載日:2006年3月26日)