憲法九条は不易なもの
寄稿 藤岡玄次郎 氏(徳島県在住)
強権独裁の現政府を批判する。
機密保護法によって、まず国民の口を封じ込め、つぎに憲法を拡大解釈させて、国民の8割までもが反対する集団的自衛権行使容認を、まさに数の力と暴力によって強行採決した様相は狂気としか言いようがない。完全に戦争ができる国にしてしまった。当然、国民の多くが政府に対し、この法案は違憲と強く訴え、廃案に向けた運動を展開しているが、政府は、どんな形でも通してしまえばいまさら何を言うのかと言わんばかりに嘯(うそぶ)いている。
口先では、国民の平和と安全を守るために必要な案件だから、国民の理解を得るために丁寧に説明していくと言明しておきながら、いまだに何の説明もない。国民をだまし討ちにしているのである。逆に、すでに米国の侵略行為に加担して、自衛隊員を海外に派兵しつつある。立憲政治を破壊した横暴独裁の政府である。絶対に許せるものではない。
この法案に賛成した、主とした与党国会議員の大多数は、本当のところはただ付和雷同しただけで、全く真剣に考えていないのではないか。また、代議員制による信を得た国民の代表たる自負はあっても、その職責の重大さを全く理解しておらず、血税によって支払われる高所得を得ることだけに専念しているとしか考えられない。
一人ひとりに果たして説明する能力があるのだろうかと疑う。その証拠に与党議員の多くはますます私腹を肥やしている。会計帳簿等をごまかし、法を犯してまでも偉そうに詭弁ばかり吐いているのである。本当に腹が立つし、国会議員としての資質がないのではと人間性までも疑いたくなる。
しかし、そういう議員を選んだのは我々選挙民の責任でもある。それがまた歯がゆい。選挙前だけはへつらって頭を下げ、当選後は有権者を虫けら同然に扱うのである。そして、国民の信を得たのだと嘯いている。だから投票率も下がる一方であり、嫌気がさして政治離れしており、自民党のおもうままに独裁が強化されてしまった。
今回の参議院選挙についてであるが、自民党の目標は、本丸が憲法改正であることは明白であった。選挙結果が功を奏してしまった。これで三度国民を騙したことになる。自民党の党是は憲法改正、またその発議であったことかもしれないが、日本国憲法は国是、すなわち政治上の方針である。国民が持つ諸権利を保障するものである。 国会議員が発議して即改正(改悪)できるものではない。憲法審査会なるものも国民の大多数の要請があって初めてできるものである。そもそも憲法は現在の横暴な権力政府から国民が守るものであることをまず知ってほしい。
日本国憲法は占領下にあって米国から押し付けられたものでも決してない。そうでなければ70余年も国民が安心して生活できてきたはずがない。こんな変動する状況にあっても、我々国民はこの憲法のお陰で安寧な生活を送ってくることができたのだ。いやになるほど長い自民党政府であっても、いままでの失敗は岸内閣の時に締結した日米安全保障条約だけだと思う。
沖縄の基地問題、日米同盟など米国の思うように好き勝手され、占領でなくても支配されて、独立国でありながら米国の属国になっていって、今まさに米国の支配下にこちらから潜り込もうとしているのだと思わないか。対等に付き合おうとして、どれだけの金品や技術、犠牲を投じてきたことか。まだこの上に米国に媚びを売るのかと言いたい。ごく最近までの首相は憲法改正が党是でありながら、おくびにも出さずに打ち消してきたのだ。
憲法審査会で議論することはあっても、発議し、改悪することは決して我々国民が許さない。特に、憲法九条は絶対不易のものである。これに言及することはわが国を戦争する国への先導行為である。国民を馬鹿にするのもいいかげんにせよと声を大にして言いたい。
同時に、我々国民も憲法をもう一度読み直し、各条項を詳しく研鑽すべきであると思う。(完)
2016年月8日5日