2009年度、第5回大村市九条の会「集い」報告 |
09年度 第5回「集い」報告 日時:2010年1月30日(土) 14:00〜16:30 会場:大村市勤労者センター 講堂 内容: (1)ビデオ「戦争をしない国 日本」 (2)ビデオ 「伊藤真が語る・・・そもそも憲法は何のためにあるのか」 |
ビデオ「戦争をしない国 日本」 ビデオはイラク帰りの米兵に指導を受けながら訓練に励む自衛隊員の姿で始まる。そして1945年8月1 5日の無条件降伏に至る戦場映像の数々が続く。 これらの映像はこれまでも度々テレビ画面に映し出されたものではあるが、戦争の酷たらしさ、虚しさを伝えるメッセージの重みが変わることは決してない。 広島・長崎に投下された原子爆弾による惨劇に代表されるように近代戦は一般市民を巻き込む無差別且つ大量殺戮である。幼い子供達を含む市民の無惨な死体は正視するに耐えない。人間の心に潜む邪悪さ、愚かさを垣間見るようで慄然たる想いに駆られる。 この大戦による犠牲者は日本人310万人、アジアでは2000万人を超えると言われている。 これらの人々の尊く且つ無念極まりない犠牲の上に生まれたのが主権在民・基本的人権の尊重・平和主義を3本柱とする「日本国憲法」のはずである。しかし国民はその喜びに浸るまもなく、再軍備、戦争のできる国への流れに激しく抗議し、平和を願う多くの組織が連帯して戦う映像に変わる。 日本における改憲の動きとは裏腹に、世界の多くの国から憲法九条を掲げる「日本国憲法」は高い評価を受けている映像も紹介される。(注記) 最後は07年参議院選挙で選挙カーから「美しい国 日本」「憲法改正」を訴える安倍元首相の映像をバックにナレーターの「憲法を作るのも、変えるのも主権者である国民である」との声が流れて終了する。 (注記):1999年5月「ハーグ世界市民平和会議」においては「各国議会は日本国憲法九条のように自国政府が戦争を禁止する決議を採択すべきである」としている。又、2007年ケニアのナイロビで開催された「世界フォーラム」でも戦争放棄と武力不保持をうたう憲法九条が注目をあびる。 |
ビデオ「そもそも憲法は何のためにあるのか」 伊藤真氏は冒頭において憲法の一番大切なものは個人の尊重であるとし、続いて憲法と法律の違いについて「法律は国民の自由を制約して、社会の秩序維持のためのもので、国民に対する歯止めであり、憲法は国家権力を制限して、国民の人権を保障するものであり、国家に対する歯止めである。 憲法は国民が守るべきものではいことは、憲法99条に明らかである。憲法に国民の義務が少ないのも当然のことである」と要約して語る。 又、民主国家において多数の意見で物事が進められるのは大切な事ではあるが、多数が過ちを犯すこともあり得る。人間の弱点とも言えるこうした事への歯止めが必要となると指摘。 「憲法はその時々の多数決で奪ってならない価値として人権があり、その時々の多数決でやってはいけない事に戦争があることを高らかに宣言し、少数派・弱者を守る精神に貫かれている」と解説する。 又、憲法前文に「われらは、世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を確認する」とあり、世界的視野で全人類の平和的生存権を謳うもので世界からの称賛を得るに値する。 2005年、小泉政権下の「自民党新憲法草案」は、軍隊を持って、普通に戦争のできる国を目指す。06年の「教育基本法の改正」により従来の「一人一人のために国家がある」から「国家を支える国民」の教育へ転換。07年には防衛庁の防衛省への昇格と戦争のできる国への準備が進んでいると警告。 この危険な流れに対して憲法は二つの「平和実現ルート」を用意している。一つは国民主権の「政治ルート」を使って政府に戦争をさせないことであり、二つ目は「政治ルート」で多数が得られないときは裁判所を通じて人権を主張してゆく「裁判所ルート」だと説く。 その例が、08年4月17日の名古屋高裁の「航空自衛隊イラク派兵違憲判決」であり、日本がイラク戦争に参加・加担しており、憲法九条違反であると断じた画期的判決だと紹介。 最後は「憲法を道具として平和を得るための実践が重要です。一緒に頑張りましょう」と結ばれました。 |
*両ビデオともに、一人でも多くの皆様に視聴いただきたい貴重な内容でした。(参加者:26名) *意見交換会では海兵隊普天間飛行場の移設候補地の一つとして、大村・佐世保が挙げられていることに 対する不安の声と共に、「反対」運動の早期立ち上げの必要性を訴える意見が相次ぎました。 「大村市九条の会」事務局は今後の対応について早急に検討することに致します。 |
(掲載日:2010年2月5日) |