2011年度 第3回「集い・七周年記念講演会」報告書


2011年10月26日開催、2011年度・第3回「集い」報告書
 「大村市九条の会」は2004年10月26日の立ち上げ以来七年を経過し八年目の活動に入りました。 この間、多くの皆様方にご支援いただいてきたことに深く感謝申し上げます。 「主権在民・基本的人権・平和主義」の基本理念に貫かれた「日本国憲法」を守るために今後とも一層のご支援、ご協力をお願い申し上げます。

 本降りの雨に見舞われた「講演会」でしたが、30名の方に参加いただきました。  講師、山田拓民氏(長崎原爆被災者協議会事務局長)の講演は14才の時に被災された自らの被爆体験
 (1)私と原爆 に始まり
 (2)占領軍や日本政府は被爆者にどう向き合ったか
 (3)被害者の暗い時期
 (4)立ち上がった被爆者
 (5)被爆者が求めたもの
 (6)被爆者の要求こそ、日本国憲法にもとづくもの 
の順で話を進められました。

 1945年8月9日、原子爆弾が投下された長崎の街での惨状を目の当たりにされた講師のお話は新聞・テレビ報道で見聞きしてきたものとは違った重みを持って心に伝わってきました。 レジュメの他に用意いただいた資料は次の三点でした。

(1) 長崎の被災地域を示した地図
 同心円であるべきはずの被災地域が、南へは12q、東、北、西へは4〜5qです。資料 には「なぜだと思いますか」とあります。 被爆者の認定は被爆距離に即するのではなく、被爆場所が長崎市の旧行政区域内であった かどうかで線引きしたのです。(下記「歪められた同心円」より)
ルポルタージュ 大浦ふみ子著「歪められた同心円」(本の泉社:2011年版)はこうした行政側の地域差別がどれ程多くの人達を苦しめたかに迫るルポです。

(2)1945年9月16日 朝日新聞 東久邇宮首相が米人特派員の質問書に答えた返書
 「米国民よ、どうか真珠湾を忘れて下さらないか、われわれ日本人も原子爆弾による惨害を忘れよう、・・・、互いににくしみを去ろう・・・・・」(一部抜粋)  宣戦布告もせずに仕掛けた真珠湾攻撃と同列で広島、長崎への原爆投下が語られています。

(3)2010年10月25日 朝日新聞 原爆被爆者対策基本問題懇談会(基本懇)議事録
 橋本龍太郎厚相(当時)の諮問機関「基本懇」における有識者7人の発言議事録。 被爆者の苦しみ、被災者の要求に背を向けた行政の対応、姿勢に言葉を失う記事です。
※上記(2)大規模図書館で(3)はお近くの図書館で、閲覧できると思います。

 被爆者が求めている「被爆者援護法」は「核兵器の廃絶を目指し、原爆被害者への国家補償を内容とする法律」であり、その根拠は「日本国憲法前文」、「日本国憲法九条第1項」「日本国憲法十一条」に基づくものであると、平和憲法との関係を述べられました。

 東京電力福島第1原発事故から約2ヶ月後、「被災協」は原発の新規建設に反対し、エレルギー政策の転換を求める活動方針を採択し、活動の裾野を拡げておられます。 核兵器を「なくすのは困難」でも、「使わせないようにする」のは可能ではとの言葉も印象的でした。 参加者からの質問、感想文も講師のお話に共感し、平和を願う想いが込められたものでした。

   「憲法」「民主主義」に係わる重大な報道が氾濫しています。報道そのものにも問題がありそうですが、  気を付けて、必要な声をあげないとこの国は何処へ向かうかが案じられます。

 備忘録「憲法関連事項資料 No2(No1は前回の報告書下段)」は近日中に更新しますのでご参考にし、ご利用下さい。 次回の「集い」については改めてご案内いたします。寒さに向かいます。どうぞご自愛の上お過ごし下さい。 

2011年11月3日 「大村市九条の会」事務局

(掲載日:2011年11月3日)