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漱石の『二百十日』を読む


 

漱石の『二百十日』を読む

森 文明 (北松浦郡田平町 在住)
 二百十日とは 9月1日頃(2014年は9月1日)をいいます。 立春から数えて210日目といういみです。このころは農家にとっては稲穂が実る大事なときですが、台風が相次ぎ、農作物に大きな被害を与えてしまいます。

 昔から厄日とか荒れ日などと言われる所以です。  小説『二百十日』は、阿蘇山に登る2人の青年、圭さんと碌さんの会話体で展開する短編です。その中で語られるのは、ビールや半熟卵を知らない阿蘇の宿での下女とのやり取りや道すがらの鍛冶屋の様子など、なんでもない話題の中で華族(近代日本の貴族)や金持ちに対する圭さんの怒りや嘆きが語られます。

  2人はいよいよ阿蘇山に登ろうとしますが、二百十日の嵐に出くわし登山を断念します。そして、翌朝2人は、いつか華族や金持ちを打ち倒すことと、阿蘇山への再挑戦を誓い合って物語は終わります。

 この作品は、漱石が熊本での教師時代に、友人の同僚の山川信次郎とともに阿蘇に登山した経験がもとになっています。漱石たちは阿蘇各地をめぐり、阿蘇山登頂を試みますが、嵐に遭い断念したのでした。ちなみに、圭さんは漱石自身がモデルであるとされています。

 『二百十日』では自然を通して堕落した人間を問題視しており、 現代にも通じる問題が主人公2人の口を通して語られます。しかし、そのかけ合いが落語のようでおかしく、その他の登場人物もどこかトンチンカンで憎めません。いわば『弥次喜多道中記』の明治版といったところです。

 ところで、『二百十日』は、1906年九月の『中央公論』に発表されました。作中、圭さんは、二十世紀は、古代中国の悪人の代表とされる桀や紂のような人間で充満していると言います。そして、「文明の皮」を厚くかぶり、「奇麗な顔をして、下卑た事ばかりやって」いる。特に華族や金持ち、権力者たちは、体裁だけは見事なものだが、内心は腐敗しきっていて、「下卑た根性を社会全体に蔓延させ」ている。「豆腐屋だって人間だ」。華族や金持ちだって、元来は同じ「豆腐屋」なのに、「その豆腐屋連が馬車に乗ったり、別荘を建てたりして、自分だけの世の中の様な顔をしているから駄目」なのだと、怒り嘆くのです。

 圭さんの豆腐屋主義は、徹底した平等主義、平民主義です。「文明の皮」をかぶった、横暴な華族や金持ちは、ビールも半熟卵も知らない山の中の女中より、人間的には、はるかに劣った「文明の怪獣」だというのです。

 圭さんは阿蘇の噴煙を見て「僕の精神」だと言います。その下マグマはいつか爆発を起こします。それが革命であり、「自然の理」であるというのです。圭さんは「金力や威力で、たよりのない同胞を苦しめる奴等」「社会の悪徳を公然商買にしている奴等」を打倒する革命、「血を流さない」「頭で行く」「文明の革命」を主張するのです。

 この「文明の革命」の思想が、漱石が大学をやめ、「維新の志士の如き烈しい精神で文學をやって見たい」(鈴木三重吉宛書簡)と決断させたのです。この精神は死にいたるまで、漱石の文学の底ふかくに燃えつづけていました。

 「我々が世の中に生活している第一の目的は、こう云う文明の怪獣を打ち殺して、金も力もない、平民に幾分でも安慰を与えるのにあるだろう」
 「ある。うん、あるよ」
 「あると思うなら、僕といっしょにやれ」 (『二百十日』)
 
 
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